自分で


昨日から松葉杖で移動できるようになり、トイレなど気兼ねなく行けることを喜んでいる。気兼ねなくというのは決して大袈裟ではなく、車椅子での移動と身体の各所に管が通されていた時には、トイレに行くのもナースコールを行い、トイレまで連れて行ってもらい、ズボンとパンツを下ろしてもらう。用便が済んだらサイドトイレからナースコールし、看護師さんに管を注意しながらパンツとズボンを上げてもらい、病床まで連れて帰ってもらうという流れだった。

流石に恥ずかしいし、気を使うので気兼ねなくというのはそういうこと。

十数年前、春日市のクローバープラザで介護について研修を受けた。その際に様々な装具を着けて、高齢者の身体の負荷を疑似体験し、視野や移動の困難さに驚愕した。

講義の終盤の講師のことば「食べ物を人から口に入れてもらいたい訳ではない。トイレに連れて行ってもらいたい訳ではない。出来れば皆自分でやりたいのだ。」が心に沁みる。

膝を曲げるのは


術後の2日目

リハビリも順調でかなり右膝も曲がっているがどこまでこの調子は続くかは…。

ある程度まで曲がってからが辛いんだよね。

小学3年の今頃、と言えば丁度40年前のことだけど、右膝に大怪我をして三ヶ月飯塚病院に入院した。

あの頃のリハビリと言えばお湯に足を入れて水流をあてて曲げることから始まり、足のバンドから伸びた紐が滑車を経て砂袋を下げて足を引っ張るという拷問のようなもので、毎日泣くまで、いや泣いても続いた。

その経験からもこの角度から先が不安

三日続けて

肩のオペの時と違い術後の辛さやカテーテルの違和感もなく朝が来た。

午前中にはカテーテルや点滴もとれ、右の足の付け根のところに付けているブロックの針だけとなった。

お昼過ぎには妻が、若松駅を降りてモスバーガーや近くの市場など寄りながらやって来た。

電車わ乗り継いでの連日の通院は嬉しい。そして留守宅の様子を聞くのは何よにも効く薬。

覗いてみると

午後3時頃にオペ室へ入った。

気付けばオペは終わっていた。

執刀医の先生からの説明は、骨切りができなかったとのことであった。

課題を残しつつ、現在の痛みをとるにいたったのであった。

まぁ大事に使っていこう。右膝。

病院泊初日

午後、桂川駅から妻と俊三郎と電車に乗り若松までやって来た。

鉄道でこの地に来るのは初めてでちょっとした旅行のようで俊三郎も喜んでいた。

散策しながら、途中クロワッサンを買い求めたり、恵比寿さんをお参りしながら産業医科大若松病院へたどり着く。

妻と俊三郎が帰ってから入浴し、滞っていた令状などのハガキを幾葉か書き、隣の郵便局で投函する。

明日のオペに備えてはやく床につくが眠れない。

明日の今頃は麻酔も切れてるだろう。

大晦日に


コトコトと煮物を炊きつつ、自宅の内外の掃除やお飾りと我が家の正月の準備が進みます。早いもので、年末のご挨拶をさせて頂く時期となりました。

振り返れば今年も公務としての展覧会など、私的には今年もお声かけいただいた九産大、九大の授業やワークショップ、その他生まれ育った嘉穂の千手や大隈地区公民館の様々なプロジェクトと無事に終える事ができたことにホッと胸を撫で下ろしながら、既に動いているプロジェクトやお声かけ頂いている案件を楽しみつつ新年を迎えることとなりました。

来年も相変わらぬご愛顧を頂けますようお願い申し上げて、歳末のご挨拶とさせて頂きます。

やっぱり市場

正月用の食材などを買い求めて福岡市内へ出かけた。いつもなら岩田屋の地下駐車場に停めるが、今日は義父のエスティマを借りていたので車高の高い車輌が停められる三越の駐車場を利用した。

何故なら岩田屋か三越のデパ地下が最終目的地だからというただそれだけの理由。

しかし今日は天神からバスに乗り渡辺通り一丁目で下車。目指すは柳橋市場。


そこには暮れの賑わいがあった。黒豆、栗きんとん、数の子などなどあっという間に両手は食材で塞がりズシリと重い。


そして柳橋市場を歩き疲れたらマヌコーヒーで肩と手を休めた。

やはり市場はいい。旅をしてて楽しみなのが市場を歩くこと。どこの都市を歩いても残された差異を感じさせられるのが市場だと思うから。

目の前を流れる川を眺めながらそんな事を思う師走。

どこまでも

俊三郎の定期的な診察で飯塚病院を訪れた。特別変化もなく、俊三郎を内包する状況や嘉麻市のなどの取り組み、そして発達障害についての意見交換を行う。

近年の様々な障害についての認識と、その事に伴う児童、生徒の増加。しかしその受け皿となる病院や施設や人材などの絶対的な不足という現実。

教育に重点をおいた施策というのも、平均点の向上の事にあり、発達障害など独自なテンポや特性の子供たちへ向いたものではないというのを改めて感じた。