いとのあいだ

学生時代は服飾の学校にありながら、ファッションディスプレイのクラスだったのでミシンを踏むことはあまりなく、もっぱらピンワークやアンビエ・ドゥブルビェと言ったドレープ技術を学び、その後素材特性や空間演出、そしてファッションビジネス論やマーケティングなどを学んだ。
あれから30年。
分かっているし、覚えていると思っていたが、広島現代美術館で竹口さんのギャラリートークを聴きながら、いと(糸)が交わり、そのあいだに生まれる空間を保温することや、織り成されたテキスタイルが面ではなく立体であることを思い出した。
しかし竹口さんの話のそれや展示は、科学でいうマクロの世界ではなく、私たちの先人たちが古より知識として知って自らを纏っていたことを認識さえてくれている。ナノメートルを確認できる今に至っては意識すらされていないことでだが。

広島へ足を向けさせたのは竹口さんと久しぶりに盃を交わしたいとの不純な気持ちと6年前に福岡県立美術館を会場に竹口さんが担当した「糸の先へ いのちを紡ぐ手、布に染まる世界」(県美の展覧会でなく竹口さんがとするのは、今回の会場と合わせてご覧になった方は理解いただけると思うけど・・・)のリベンジ?とも受け止めてたからだ。
福岡での展示も天井が低いあの会場に、照明などの演出で従来見慣れている工芸の展示とは明らかに異なっていたが、今回は会場が広島現代美術館でありその期待も高かった。(実は初めて伺ったんだけどね)

午前中に会場入りし、ゆっくりと会場を観た後に午後から再度ギャラリートークに参加して竹口さんの溢す言葉に耳を傾けた。冒頭の告知どおり60分の予定が120分となったようだ。(私は前半の部分で失礼ながらその場を離れた)

夜、大衆酒場でガンスやカワハギの肝煮を広島の地酒で流し込んで、その後汁なし担々麺食べて、最後はアイラモルトで胃に蓋をして別れた。
広島で、という場所の違いはあるものの、竹口さんと盃を交わすタイミングや話すことは変わらない。変化を求められる中で変わらないのは心地よい。

10年ほど前までは、必死に広がりを求めていたのだが、半世紀を生きた今ではその広がりもテーブルの上に零した水のように必要あればそちらへ広がればいいと思えている。

広島へ向かう前に、書棚より取り出し読み直した「糸の先へ」の図録のエッセイの一文が沁みた。

以下「糸の先から糸の先へ」より抜粋
自身が立つ足元の地平を横へ横へ闇雲に広げていったところで、それがせいぜい蜘蛛の糸か今にも割れそうな薄氷のごときものでできているなら、その上を歩いていくこともままならない。それよりもこの足元から深く掘り下げていけば、まるで地球の裏側にでも掘り貫いたかのような未知なる空間が広がっているかもしれないのだ。たしかに効率的ではないし、そんな広がりに到達できるにしても生きているには無理かもしれない。しかし、それでもいいと思えるのは自分ひとりの力ではなく、家族や友人、自然、歴史、未来、あらゆるものとつながって生き、生かされてることが腑に落ちているからだろう。あらゆるものとつながりながら生きて在る訳だから、あらゆるものとつながろうと今さら手を広げる必要もない。

この図録の奥付には展覧会のステークホルダーとして会場設計の坂崎さんやカタログ編集の尾中さんらをはじめ、会場スタッフやボランティアスタッフの氏名がクレジットされている。

交わるいと 「あいだ」をひらく術として
3月4日(日)まで
https://hiroshima-moca.jp/majiwaruito/

歌枕

今夜は嘉穂小学校の次期PTA役員の選考委員会に出席していた。
この会議は今回で2回目だが概ねのポストは埋まっている。

立候補もだが多選に対し会員の皆さんが快く引き受けてくれるからで、
歴史は4年ほどと浅い同校のPTAだが、この雰囲気は統合される前の5つの小学校PTAが
内包していたものだろう。

歌枕という言葉がある。
歌を支える枕としての働きという意味だそうだ。
枕詞や歌題なども含まれるようだが、特に和歌によく詠まれる名所のことをこういうらしい。

嘉穂のことを思うと ふとこの言葉が浮かんだ。

永く美術館で仕事をしていると
見えてくることを、見えなくなってくることがある。

ここ数日、各方面の市民や市役所の職員や、その他の方々が
訪ねてこられたり、私が訪ねたり。

それぞれの話の中では、相談や、依頼が大半なのだけど
ただただ思いの丈を聞いてほしいというのもある。

そして霞んできていたものがあることに気づく。

まだまだやらねばいけないことはある。

無駄を楽しむ

TOTOの喜多村社長が取材で生産現場で広がるAIの活用について肯定的なコメントをしつつ、その一方で「人間は無駄を楽しむ生き物だと考えている。人が楽しい、美しいと感じるものをAIは無駄だと判断するかもしれない」と人が生み出すことへの信頼も語っている。

今日、上司と炭坑についての学習への出前授業を行った。
急稲築町の職員であった上司は、旧山田市の炭坑についての授業を求められ休日などを使い資料を収集し、実際に炭坑のあった場所を歩き調査を行っていた。そのことが今日の授業で示された資料でわかった。古い資料を見つめ、実際に歩き写真に記録しそれでも調べきれなかったことを子どもたちに詫び、今後子どもたちがフィールドワークなどで発見したら教えて欲しいとも述べていた。

公私の境がないじゃないかとか、好きだからでしょと揶揄されるかもしれないが、永く美術館で仕事をしているとこんな人ばかりに包まれてきた。故に求めてしまうけどもうやめようかな。
(喜多村氏のコメントは2019年1月16日西日本新聞経済欄より)

嫁菜

今朝の西日本新聞の読者文芸に嫁菜のことが記されていた。

春日野に煙立つ見ゆをとめ等し春野のうはぎ採みて煮らしも(作者不明)
この中にある「うはぎ」が嫁菜のことだという。

通学路で朝探したが見つからなかった。
蓬には霜が降りていてまだ寒い。

 

オダビエンナーレの続き

現在織田廣喜美術館で開催中のオダビエンナーレの会期も残すところあと少し。
今日の午後は、四宮さんと小野田さんのトークセッションで会場をまわった。

広報嘉麻の企画ではじまった四宮さんの嘉麻市内での撮影と編集者として同行した小野田さん。
紙面では見えてこなかった話が聞きごたえがあった。

実は2年前にこの連載のゴールとして水面下で準備していた企画で、
企画内容から展示作業まで本当に四宮さんにお願いしっぱなし。

さて次のオダビエンナーレは・・・
もう動きはじめてます。

征三さんと俊三郎

田島征三さんを俊三郎と昼間に常盤館へ迎えにゆき、田島さんのリクエストで田川市石炭・歴史博物館に山本作兵衛の作品を観に行った。
その後「オダビにも寄りたいな〜」とのことだったので、オダビへ。
車中で話した齋藤博之の画集を差し上げる。

博多駅に向かう車中も様々な作家の話を交わすことが出来た。
ずっと前席で田島さんと話していたので、後部座席の俊三郎はやや不満そうだったが、博多駅で見送ると雨なのに窓を全部空けて別れを告げていた。

勘違いも吉となる

平成筑豊鉄道赤駅のトロッコ運行の記事を週末の新聞記事で読んでいたので俊三郎と出かける約束をしていた。
そして、日曜日の朝に俊三郎とバイクで赤駅へ向かった。

しかし駅は無人のまま。
妻に電話し新聞で確認してもらうと来週だった。

このまま帰宅するものどうかと思い
バイクのハンドルを英彦山方面へ向けた。

赤村から英彦山方面への道ははじめて通ったが、
静かで、しかし人の営みが感じられるいい道だった。

そして前方に油木ダムが見えてきた。
水量は低く回遊道から降りることができそうなので降りてみた。
バイクを止めた場所には津野小学校がダムの底になったことを記す石碑

ここに子供たちが学んだ場所があったのかと思うと
地形をゆっくり眺めていると、声が響いてきそうな気がした。



石川えりこさんの絵本 流木のいえ に出てくるトナカイのような木が立っていた。

 

またバイクにのり英彦山方面へ走ると右手に前足を上げた狛犬が見え、
気になりバイクを降りた。


高木神社というらしく、狛犬の先の一の鳥居の所には
うさぎの狛犬もある。

英彦山に着くと
人は少なく沿道の土産屋も開いているのか閉めているのかわからないような感じで
寂しい。



さて石段。
父を置いてさっさと駆け上るす俊三郎。


息もあがり、膝もやや痛みを覚える父は遅れて神社へ到着。


お参りして、冷たいもので喉を潤し降り始める。





バイクを停めていた近くのメルセデスのエンブレムに


そこから今度は小石原へ向かい行者杉をみて、峠を下る。




峠を降りて ワイルドウインドに寄り
三線を奏でて



大里くんのショットは俊三郎撮影